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高橋惠子と逃避行した若手作家河村季里って誰?ダウンタウンなうで暴露!

5月17日のダウンタウンなうに高橋惠子(高橋恵子)さんが登場。番組では過去に話題になった大スキャンダルについて暴露しますが、、

これはずばり70年代終盤に起きた逃避行、失踪事件のことですよね。

高橋惠子さんが若手作家河村季里という人物と突如海外へ失踪した事件です。

ミヤ
元カレ?と聞かれたときに芸能人ではないから~みたいないぼかしたけど、たぶんあの感じだと元カレだったろうね。
なゆ
この記事ではこの「愛の逃避行」の相手となった当時若手作家であった河村季里とはどんな人物なのか見ていきます。

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Contents

高橋惠子はそもそもなぜ失踪を?

高橋惠子さんがそもそも失踪にいたったのは仕事のストレスが理由。

70年代当時、大人気女優で仕事があまりにも忙しかった高橋惠子さんは1977年頃にストレスがピークに。

そこで自己否定の感情が強くなり、ついには自分で自らを手にかけようともしたそうです。

そんな1979年に「ドラキュラ」という舞台の仕事を途中で抜け出し、後に紹介する河村季里という若手作家と突如失踪します。

高橋惠子の失踪相手(元カレ)の若手作家河村季里って誰?顔画像は?

河村季里の顔画像と人物像

彼女が一緒に失踪し「愛の逃避行相手」と言われたのが当時若手作家、元劇作家をしていた河村季里という人物。

この高橋惠子さんと若手作家はとある取材をきっかけに出会ったそうなので、劇作家だけではなく何か週刊誌やコラムのような記事も担当していた可能性が高いですね。。

追記:雑誌インタビュアーもしていたようです。

実はお二人は結構前から知り合っており、出会いがきっかけで高橋惠子さんがおかしくなったのでは?という声もありました。

この河村季里さんの顔画像はこちら。

当時ロン毛で結構イケメン、当時では風変りな人物だったとのこと。

その後1980年に河村季里さんは二人の逃避行について「青春の巡礼」という本を出版しているようです。

突然2人でタイへ行ったということで、当時週刊誌でも大々的に取り上げられ、大きく話題となりました。

ちなみに当時の高橋惠子さんはこんな感じ。

この河村季里さんはその後「株式会社K&Bパブリッシャーズ」という会社を企業している様子。

株式会社K&Bパブリッシャーズ:旅行ガイドブックなど出版物を制作する会社

河村季里との出会いで高橋恵子に変化が?

もともと高橋惠子さんが15歳にデビューしたのが「高校生ブルース」という作品でその後も「〇れ場女優」というイメージが強かった様子。

そんな中河村季里さんから「きみは汚れてしまった」と言われたそうで、それをきっかけに失踪。

 

なゆ
本人もどんどん過激になっていく演技に我慢ができなくなったんでしょうね、、そのちょうどよいタイミングで声をかけられたという感じでしょうか。

そんなと高橋惠子さんと河村季里さん、始じめは岐阜へ逃避行したそうです。

飛騨高山の山小屋、町からは車で30分ほどかけなければいけないところだったようで、ガチの生籠りだった様子。

一応小さな村みたいなところですが、実際は民家が16件ほど。

そんな山奥で2年間も暮らしていたんだとか。

そこから実は高橋惠子さんは一端女優に戻ろうとします、、

しかし河村季里さんの説得があったのか本人の意思かははっきりしませんが、芸能界に一週間ちょいだけ戻って、すぐにタイへさらなる逃避行をはじめます。

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元カレとのその後

そんな100日を超える逃避行、タイの後に訪れたトルコで出会ったとある日本人がきっかけに終わりを告げます。

トルコで登山家、そして占いを趣味でやっているという日本人に出会ったそうで、彼女は将来を占ってもらったそうです。

当時トルコの次はスペインに行く予定があったそうですが、その登山家から「(スペインへ)行ったら命を落とす」と占われ、結局日本に帰ることにしたんだとか。

逃避行を始めるときは命がけだったそうですが、やはりいざとなると自分を必死に探している親の顔が浮かんだそうです。

まとめ

というわけで女優高橋惠子さんと逃避行した若手作家の河村季里さんについて、そして失踪事件の一部始終を書いていきました。

売れっ子女優には売れっ子なりに、、当時相当悩んだことでしょう。

そんな状態で優しくされたら、誰だってその方を好きになってしまう、、そんな気持ちもわかるような気がします。

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